はじめに
どうせ死ぬのになぜ生きるのでしょうか。
「死ぬ」ってなんなんでしょうか。
幼いころから不思議に思ってきたのですが、40過ぎた今、一度アウトプットしておこうと思いました。
死後の世界だの神の世界だの魂は不滅だのと昔の人が様々に考えてくれていますが、同じことを言っていると思うんですよ。
「輪廻転生」ってあると思うのです。
私は一定の答えを得て、今とても気楽に生きられるようになりました。
この記事が誰かの参考になれば幸いです。
人間の体は酸素(O)水素(H)炭素(C)がほとんど
人間の体は60パーセント前後が水分と言われています。
赤ちゃんや老人では20%くらい差があるそうです。
水といえば昔学校で習ったH2Oですよね。
水素と酸素です。
人間の体は水を除けば、残りはタンパク質や脂質がほとんどなのだそうです。
タンパク質と脂質は水と炭素と他(窒素など)の化合物です。
つまり人間の体はほとんどがHとOとCの組み合わせで出来ているのです。
HとOとCの組み合わせで出来たハードウェアの中に記憶等からなるソフトウェアが動いている。
そういう風に「私」という存在をとらえるようになりました。
水や炭素は地球を循環している
水は地球の表面をぐるぐる巡っている
海の水が雲になり雨となって山に降り、集まって川になり、再び海に至る。
学校で習いました。
この循環の途中で水は様々に利用され、私たちの体の一部になることもあります。
炭素は水よりゆっくりとだが、やはり地球を巡っている
炭素はどうでしょうか。
まず空気中に二酸化炭素(CO2)等として存在しています。
二酸化炭素は光合成で植物に取り込まれるんでしたよね。
植物に取り込まれた炭素は、他の動物に食べられたり、人間に燃やされたりします。
食べられた炭素は微生物を含む別の生き物の体になります。
燃やされた炭素は主に二酸化炭素として再び空気中に戻り、また植物に取り込まれます。
中には地球の内側で安定し、石油や石炭として長く存在するものもあります。
水や炭素は宇宙に出ていかない
重力ってありとあらゆるものを引き付ける力らしいんです。
水や炭素も地球の重力にひかれ、地球の中を巡っているのです。
宇宙に飛び出すことはないわけです。
ということは、
地球上の色々なものは、時には海水だったり、植物だったり、動物だったりと
形を変えているだけで、
ずっと地球上にいることになります。
ここに思いが至って、私は閃きを得ました。
輪廻転生って魂があの世とこの世をぐるぐる回ることらしい
科学何それという人であっても、生きていれば自分の目の前で誕生と死が繰り返される不思議を目にします。
動物が生まれて死ぬ、植物が生えてくる朽ちる、雨が降る、川が干上がる。
魂を発明した人はこの繰り返しを見て、どうもハードウェアの部分はこの世から消えてなくならないようだぞ、でも人格や記憶というソフトウェア部分はなくなったら戻らないようだ、ということに気が付いたのかもしれません。
そして肉体を操るソフトウェアとして魂や霊を考えたのではないでしょうか。
知らんけど。
まあ、少なくとも私たちの体の材料は地球上をぐるぐる巡っている。
1億年前の海水が1000年前に地中で石油になっていて、100年前に人間に燃やされてCO2になり、雨に溶けて今は日本で私の体を構成している。
なんてことが起こっているかもしれないのです。
観測はできないので適当な想像でしかないのですが、理屈は合いますよね。
この循環を当時の知識で解釈したものが、輪廻転生の正体なのではないなと思うのです。
私たちは不滅の存在
どうやら「私」を構成する物質はずいぶん長いこと存在しているようです。
不滅と言っても良いのかもしれません。
不滅の物がある組み合わさり方をしてある経験を積み重ねた物が「私」なのです。
「私」という組み合わせが無くなっても「私」を構成していたものはなくならないのです。
「私」は不滅である物質のとある一時を切り取った存在なのです。
まとめ
死ぬことは今の組み合わせを失うことでしかなく、物質その物を失うわけではありません。
この考えに至り、死は恐ろしいものではないと思うようになりました。
今の人生は、地球上を巡る一時の旅です。
せっかく今の組み合わせを手に入れて、一時人間で在るのですから、この人生を楽しむ。
やりたいことをやる。
死んでも地球上を巡る旅を続けるだけなのだ。
死などない。状態が変わるだけ。
こう考えるようになりました。
これが私の死生感です。この記事でシェアしたかったことです。
もっと若い頃に至っていれば、随分と違う景色が見られたと思うのです。
あなたの参考になれば幸いに思います。
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